「鶴見高校野球部の最後の夏」が特集されていた。
来年で廃校になる高校の、3年生だけ部員14人のチームだ。
それをみて、ふと思い出した。
そーいや。
俺も野球少年だったな。と。
強かったせいか、指導者が熱心で強くなったのか、周りの奴が上手かったのかは分からないが(僕の同期は後に、有名な日大三高で主将を務めるのでこの説が濃厚)、東京都64チームの中で必ず決勝まで残るチームだった。
平日は朝連と夕連がほぼ毎日、土日は1日中試合や練習。
その分、幼いながらプレッシャーもすごかった。
クリーンナップ(主に3番か4番)を打っていた僕は、バッティングが不調だと本当に吐き気を催すほどよくわからない責任感を感じていた。
なつかしい。
今では良い思い出である。
番組を見て、自分の出身チームはまだるんかいな?とネットで検索してみると、HPが出来あがっていて感動した。
ユニフォームもそのままだ。
僕の育った場所。
土地とか、学校とか、チームとか、仲間とか。
大事にしていきたいなぁと思った。
久々に、練馬に行ってみよっと。
仙台ベイ七ヶ浜走ってきました
7 年前
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